風邪が悪化したかもしれないんだ。

意外なところに信仰深い人が居るもんだと思った。と言うのも、24年以上生きてきて何かの宗教にどっぷり使ってる人を見たことがなかったからだ。もっとも、それは俺が知らないだけで何らかの宗派を信仰しているのかもしれないけれど。
4児のパパ(46)とサシで飲んできました。軽い気持ちで言ってきたけどまさか4時間も飲むことになるとは。お陰でこんな時間だ。
豪快なその人は、案外信心深かった。日本人だからと言うわけでもないが、根っからの仏教徒のようだ。
信仰心が極めて薄い俺にとって、その神仏のくだりは心底どうでも良かったけれど、その人の行き方のベースはここにあるんだなと、人のことをより一歩知って面白かった。
性格とか物の考え方、在り方。そういうものが形成されるには当然基盤となるものがあるんだけど、
「あぁ、この人はこういう人生歩んで色んなものとであって経験をして今のこの人が在るんだなあ」
と思った。
けど、なんでもウンウン言う俺もやっぱり御仏どーのこーのの話は一概に首を縦に振ることは難しかった。
全ての偶然は、前世から決まってた因縁だとか、
因果応報の輪を断ち切るためには、修行して先代の成仏させてあげるとか、
人は徳を消費して生きているだとか、
守護霊と会話をして、ン百万年前の自分はどーだったから今はこうするべきと話されたとか、
初めて墓参りを言ったその晩枕元に子供がたってて、参ってくれた人のお礼を言付かったとか、
運命・出会いは繰り返しているだけだとか、
色々仏さま的な話をされたけれど、そういう宗教くさいことに胡散臭さを感じてしまう俺としては如何ともし難く。
そういう考えがあることは別に否定しないし、そういう世界もあると思う。なにより、高校時代は宗教っていう授業があってそこで仏さんの歴史を学ばされたりしたりね。
ただ、それをベースにして生きていけるかといわれると、どうにもね。
どう思う?