54.8degずれてるけど

Noと言えることが美徳みたいなことがあるけれど、本当にそうだろうか?
イエスマンが欲しいというわけではなく、やはり日本人を相手にするのであれば、Noの言い方が極めて重要だと思う。
「私は嫌です」なんて、はっきりものが言えていいなあという意見と、もうちょっとマイルドな言い方があるだろ・・・の二極化だと思う。俺は後者。
そんな都合のいい後輩ばかりではないと理解しているものの、こういう発言が飛び出すと、めんどくせえなあ、気をかけてやってんのにさあ・・・と思ったりもする。
イエスマンを求めてんのかねえ。やだやだ。ただ、場の雰囲気を重んじるのも大事だと思うので(最近特に心がけてる)、TPOに合わせた発言の仕方を考える必要があると思った。
で、結局原点回帰。っていうかなんていうか、もうみんながみんなめんどくさくってしようがない。
やはり、仕事上の付き合いなんて一線引くくらいで丁度良いと思った。
変にプライベートに介入しなくていいよ。ドライでいい。
感情入ると、それがプラス側でもマイナス側でも、絶対面倒臭くなる。
利己的に、我欲で動ける組織、それが成果につながるんだったらあやふやな「絆」とかいう気持ち悪いキーワードなしで攻めていける。理想じゃない?
ドライでいい。くどいけど、ドライでいい。
言い聞かせているのかな?